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TB (航空機)[てぃーびー]
TBは、大日本帝国軍向けに川西航空機が計画した超大型爆撃機。名称の「TB」は「渡洋爆撃機(Toyou Bakugekiki)」の略。 == 経緯 == 高い航続性能を持つ二式飛行艇をものにした川西に対し、1943年(昭和18年)夏に内閣企画院(のち軍需省)から米本土爆撃用の大型爆撃機の発注が行われた。この発注に陸海軍は関与しておらず、軍からの試作名称も与えられていないが、TBの計画自体は主に海軍が軍需省とともに進めている。要求性能は当時陸海軍が計画を進めていた中島飛行機の富嶽と同様のもので、航続距離は22,222 km、米本土爆撃後は一度ドイツ領内に着陸し、燃料補給の後に日本に帰還するというものだった。 川西は東京帝国大学航空研究所と合同で設計を行うものとし、設計では航研が主体的な立場となった。全体設計は航研の木村秀政教授と川西の技師が担当、主翼の設計は航研の谷一郎教授が、胴体や尾翼は川西側が担当した。設計開始から一ヶ月後には川西と海軍航空技術廠によって二度に渡る全体模型による風洞実験が行われ、好成績を納めている。風洞実験などの結果を検討した後、海軍主体の軍関係者に対する説明会が行われたが、軍側から寄せられた質問は速度不足に関する源田実参謀からのもの一つだけであり、説明会に参加した川西の菊原静男設計部長は、軍のTBに対する熱意が感じられなかったと述懐している。 その後は富嶽やキ74、キ91なども交えた検討が繰り返され、1944年(昭和19年)1月から2月にかけて、陸海軍によって最終的な富嶽との比較検討が行われた。海軍はエンジン開発の見込みがあるTBを推していたが、最終的には富嶽が選定され、TBの開発計画は中止された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「TB (航空機)」の詳細全文を読む
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